「 とはずがたり 」 〜原点ブログ〜

「 とはずがたり 」 〜原点ブログ〜
代表の中山は、訪問先への移動途中で写真を撮っています。散歩しながら感じたことを話すひとり言です。



この瞬間、文句なし2010.08.11 Wednesday

 ある晴れた休日、ソファに座り、窓から空を眺めていました。何も考え事がない、何も予定がない、ただ空を眺めているだけのこの瞬間、何も文句なし。
この瞬間、文句なし
 仕事で疲れることもあるけれど、人間関係に疲れることもあるけれど、いろいろ考えすぎちゃって逃げ出したくなることもあるけれど、そんなことばかりじゃないな。探してみれば、これまでにはたくさんの“文句なく”幸せな時間がありました。ほんの一瞬の短い時間もあります。それでも、あの時は楽しかったなぁとか、こんな時は気分がいいなぁとか、探してみたらけっこうたくさんあります。
 遠慮なく大笑いしている時、最後のページを読み終えた時、小笠原のホームラン、餃子の王将の餃子、借りたかったビデオが戻ってきた時、ジャズを聴きながらバカラのグラスでウィスキー、年齢を超えた他人なのに兄弟のように一緒にいられる人たち、美味しくてニコニコして食べている隣の顔。
 辛いことや傷ついたことの方が、人の記憶は忘れないようにできているのかもしれません。楽しかったことや褒められたことの方が、人の記憶は忘れてしまうようにできているのかもしれません。でも誰にでもきっとある“この瞬間、文句なし”って思える時。
 “原点ブログシーズン3/自分を支える言葉”は今日で終了です。「人」という字は人が人を支え合う姿ですが、時に自分が自分を支えることがあることを書いてみました。

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ゴレンジャー理論2010.08.10 Tuesday

 それまでのヒーローはいつも一人でした。仮面ライダー、ウルトラマン、スパイダーマン、キカイダー・・・。小学生のボクには衝撃的でした。ヒーローが一人じゃない、5人もいる!しかもそのうちの一人は女子だ。“秘密戦隊ゴレンジャー”バンバラバンバンバン♪
ゴレンジャー理論
 赤、青、黄、桃、緑の5人の戦士は、それぞれに武器を持ち、得意技も違います。相手の怪人に合わせて攻撃を変えて戦います。青レンジャーが活躍する場合もあるし、桃レンジャーが活躍する時もあります。誰もがヒーロー、それが“ゴレンジャー”です。
 自分の得意なことや好きなこと、これだったら興味を持って続けていけること、それを見つけることができたら、大きな力になります。それが自分の武器になります。一人ひとりがそんな武器を持って集まった組織であったなら、きっと強いチームになるだろうなと思います。
 一つ二つ苦手なことがあっても、それで自分のすべてを否定する必要はないし、それはまだ自分の得意なものが見つかっていないだけかもしれない。苦手なことは互いが補完し合うことができれば、どんな障害も怪人もやっつけられるはずです。
 人の持つ力、力の容量はきっと皆同じで、それをどう使い分けているかってことなんだと思います。その中で自分の得意なもので勝負している人は強いし、できる人に見えます。苦手なこともあって、得意な武器で勝負するゴレンジャーであれば良いんだと思います。

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温故知新2010.08.09 Monday

 年齢を重ねた人、現場を離れた人、現役を引退した人、そういう諸先輩の方々の考え方には確かに今となっては古いとされることもあります。一方で、社会人一年生、経験の浅い人、アシスタント的な立場の人、或いは子どもや学生、そういう若い方々の考え方には確かに今一つ物足りない、不十分であることもあります。
温故知新
 “古きをたずね新しきを知る”孔子の言葉です。今となっては古くなってしまった考え方の中にも、新しいものを作り出すためのヒントがあります。経験不十分であるが故の考えの中には、経験した人だからこそ気がつかなくなってしまったことがあります。
 育ってきた環境も違えば、生まれた町の慣習や文化も違い、何が常識で非常識なのかもわかりません。新しいと思えたことがずっと昔に流行していたものだったり、古いと思っていたことが、今、新鮮に感じること。どちらにも学ぶことはあると思います。スマートフォンを片手にホッピーを飲む。ハイボール飲みながらツイッターでつぶやく。そんな風景が今は新しいのかもしれません。


【今週の龍馬伝 32 / 48回】
 また一歩、踏み出した。中岡慎太郎と龍馬は、もう一度、西郷吉之助を説得した。“申し訳ないことをしたら「ごめんちゃ〜」言うて、手土産の一つも持って行ったらええ”ただ、それは幕府に戦を仕掛けることと同義だった。この日本のために覚悟した龍馬にぶれることはもう何もない。そしてお龍にも、龍馬は一歩近づいた。

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食物連鎖2010.08.08 Sunday

 社会人1年生、働くことに期待と不安。作り上げた友達との関係も、社会に出たら今度は大人たちとの新しい関係を作らないと。そんなプレッシャーが数年続きます。そんな時、上司や先輩は、時々ランチやお酒に誘ってくれました。毎回ではないけれど、おごってくれました。40歳を過ぎた今も、人生の先輩たちはランチに誘ってくださいます。そしてご馳走になります。
食物連鎖
 この20年でボクにもたくさんの後輩ができました。時々ランチやお酒に誘います。「飲みたい」と電話をしてくる可愛い後輩もいます。ご馳走しようとすると彼等は遠慮しますが、半ば強引にご馳走します。人数が多少多くてもボクは全員にご馳走します。過去にそれで借金をしたこともありました。自分の収入も考えずに、ご馳走しすぎたのです。
 後輩はこの国の“これからの人たち”でもあります。ボクも先輩にご馳走になったことがあります。その時はあえて遠慮したりせず、心から感謝してご馳走になります。そしてボクはその分を後輩にご馳走することで、お返しをしているのです。
 ご馳走しようとするボクに遠慮せずに、申し訳ないなんて気持ちにならずに、次のまた後輩にご馳走してあげて欲しいと言います。食事がつなぐ“心と心の絆の連鎖”です。これを“食物連鎖”と呼んでいます。自分の収入の数%を“これからの人たち”の為に使います。お金がないときはランチや安いお店で我慢してもらいます。

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人生振り子の如く2010.08.07 Saturday

 7年前から利用させて頂いている竹酒と陣屋料理の“相馬龍”http://r.gnavi.co.jp/g511300/を7カ月ぶりに訪れました。しばらくご無沙汰してしまっていました。それでもお店の入り口から顔をのぞかせた奥様は「元気だった?」と、いつも通りの笑顔で迎えてくれました。調理中のご主人も振り返り「メールしようと思ってたんだよ」と笑顔で迎えてくれました。
 今日から5回にわたり、“原点ブログ/シーズン3”を贈ります。今回のテーマは“自分を支える言葉”です。弱くなりそうな時に、ボクはこの言葉で自分を支えるんです。
人生振り子の如く
 今はもうすっかり見なくなった“振り子時計”その振り子は中心から左右同じふり幅だけ振ります。左が苦労なら右は幸せ。小さく振った苦労なら、同じふり幅だけの小さな幸せ。大きく振った苦労なら、やっぱり同じふり幅だけの大きな幸せ。左が努力なら右は満足。小さな努力なら、同じふり幅だけの満足がある。大きく振りきるほどの努力をしたら、きっと同じふり幅だけの満足が待っている。人生はそんな振り子のようなものだと考えています。
 決して左右のふり幅が違うなんてことはなくて、いつだって同じふり幅だけ振ります。だから頑張った分だけ、ちゃんとその分の幸せは待ってるからと、そう考えるんです。振り子が左右に一度ずつ振ると、時計は“1”を刻みます。もう一度左右に振れば、また1を刻みます。1は2になり3になり、苦労と幸せ、努力と満足を繰り返して、人生は積み上げていくもの。だからずっと振り子を動かしていたら、ちゃんと人生は積み上がっているんだってことです。

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心変わりと衣替え2010.06.01 Tuesday

 原点ブログ・シーズン2
 「こんなに立派になって」と親が子に思う時っていつだろう。どんな時だろう。男子は母に甘え、遊んでくれる時だけ父を慕う。気がつけば母も女だったと感じた時、「クソばばあ」と言えるやんちゃな男子に豹変する。自我が目覚めて反抗期がやってくる。父には苛立ちの感情だけで疎遠になり、お酒を飲めるようになってまた少し近くなる。
心変わりと衣替え
 中学校の帰りに寄り道した十条銀座の中通りの“餃子の王将”は小さくて、お世辞にも綺麗とは言えない店だった。30年経ち“こんなに立派になって”駅前のバス通りに移転していた。
 中学1年生の時に母が自分より小さくなった。中学3年生で父の背も超えた。身体はいっぱしにでかくなり、心の成長が追いつかない。それから30年が経って、とっくのとうに背は止まっているのに心の成長は未だ発展途上。
 日本にはなぜ四季があるのか、今はそんなことが疑問に感じるほど繊細な心になっています^_^; 四つの季節がくることで人は一年を四つに分けて節目を作り、気持ちも入れ替え、目に見えるものや手に触れるものも変えています。数字の「4」が自分のラッキーナンバーになったのはいつの頃だったか、四つの季節にも感謝の気持ちを持てるようになりました。これで原点ブログ・シーズン2を終わります。またいつか!

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失くすものあり、出会うものあり、そうして大人になっていた2010.05.31 Monday

 原点ブログ・シーズン2
 お昼に一人でお店に入れるようになると、ちょっと大人になったかなと感じた。みんなで一緒に給食を食べて育ってきているから、お昼は友達を誘い合って一緒に行くのが“しきたり”だった。「今日俺、一人でランチするよ」なんて言おうもんなら「なにそれ」だし、「あいつ変わってんな」くらいの陰口は覚悟しなければならなかった。
失くすものあり、出会うものあり、そうして大人になっていた
 十条の名物とも言える「からし焼き」の“大番”に入るには、お爺さんに見えてたおじさんに席を譲ってしまって断れた時の開き直りが必要だった。“からし焼き”は簡単に言えば肉豆腐。「そんなもん簡単に言うな」と怒られたら素直に謝る。甘くてそして辛くて、やっぱり甘い、かなぁ〜なんて思いながら食べ終わると辛さが口の中に残っている。20年前、また一つ大人の階段を上ったボクの青春は甘辛い味だった。

【今週の龍馬伝 22 / 48回】

 下士への差別意識は根が深かった。ついには岡田以蔵も捕らえられ、龍馬は幼馴染の行く末を案じ、泣いた。土佐を、そしてこの国を変えるために龍馬がしてきたことは一体何だっただろう。藩にいたらできなかったことがあった。だから土佐を捨て一人になった。今、龍馬は本当に寂しくなった。そんな時、出会った人、それがお龍だった。

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ランチハウス2010.05.26 Wednesday

 原点ブログ・シーズン2
 10代の終わり、ボクにはもう一人の“母”がいた。毎日のように“母”に会いに行った。一度たりとも“母”はボクを裏切ることはなかった。いつも腹を空かしたボクを満足させてくれた。十条の“ランチハウス”それがボクの“母”だった。
ランチハウス
 どんなメニューも650円くらいで腹一杯になる。800円とかしたらそれはもう高級セットだ。いろいろ追加したら1,000円くらいになるが、それはもうなに考えてんだ。
 Cランチは豚の生姜焼き。Sランチは豚の特製ダレ焼き。メニューは他にも豊富にあるのにボクはいつもCとSを交互に食べた。Sが連続することもあった。ちなみにCとSは600円しない。隣のお客さんは海老フライやハンバーグ、とんかつ、いろんなセットメニューを楽しんでいた。でもそんなことは気にしない。Sランチの特製ダレが好きなんだ。缶の中に入っているタレをいつか持って帰れないだろうかと考えたこともあった。甘く少し香ばしいような、あああ説明できない!とにかく旨いんだ。でもそればかりだと飽きると思い、Cランチをローテーションに入れた。
 店のご主人はあの頃と変わってない。当時もおじさんだったけど、今は白髪になっただけで顔の色つやは当時のおじさんのままだ。味も変わってない。こんな最高な店はどこ探したってない。頭がどうにかなりそうだ、いっそのことボクを特製ダレに浸けてくれ。

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“斎藤酒場”と“みとめ”それが大人への階段だった2010.05.25 Tuesday

 原点ブログ・シーズン2
 十条にはちょっと有名な老舗居酒屋がある。創業は1928年(昭和3年)。当時ボクが通っていた中学校に有名な“呑ん兵衛”先生がいて入り浸っていた。父も何度か行ったことがあって、ただ当時のボクは店の印象が悪く、と言うよりも良さが理解できず、つまりは入り浸る先生や時々行く父にも良い印象を持っていなかった。
“斎藤酒場”と“みとめ”それが大人への階段だった
 あれから30年経った“斎藤酒場”は当時の印象とは違っていた。むしろ紺色の暖簾が粋で“大衆酒場 斎藤”の看板もきれいだった。相変わらず明るいうちからお客さんの笑い声が聞こえ、「こんな大人にはなりたくない」と思った当時のボクを思い出した。それは母にも原因がある。斎藤酒場の前を通ると父がいないか覗き見るのだった。母もこんなところで呑む父を良くは思っていなかった。
 十条駅には斎藤酒場、そして東十条駅には“みとめ”という酒場があった。二十歳を過ぎてから父がボクを誘うようになった。そこで初めて知ったのが“ホッピー”だった。気の抜けたビールのようでアルコール臭が強いこの酒を知った時、「こりゃいつか身体壊すわ」と思ったものだった。ただ、みとめの“煮込み豆腐”は旨かった。もつ煮込みにでっかい豆腐入り。カウンター越しのおばちゃんは、父に無理やり付き合わされているであろうボクに優しく煮込み豆腐を手渡してくれた。

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自分らしく好きに正直に生きるということ2010.05.24 Monday

 原点ブログ・シーズン2
 父からステレオを片づけてくれと連絡があった。中学1年生の時、涙を流して懇願し、買ってもらった。レコードを聞き、カセットテープに録り、そんなアナログな時代だった。父が待つ“十条”に戻った。ボクに使われなくなった古いステレオは、あの頃と同じ場所にあった。
 2008年10月に5回にわたって、自分の生い立ちからスタートラインを立ち上げるまでを語ることで原点に立ち返りました。1年半ぶりにシーズン2を全5回にわたり語ります。生まれ育った町“十条”でのボクはどんな生き方をしていたかを。
“自分らしく好きに正直に生きるということ
 “十条銀座”はこの町の生活拠点だった。1977年にアーケードがつき、より一層商店街は活気づいた。雨宿りの時間を過ごすには最適の場所だった。駅前広場で毎夏“盆踊り”が開催されると商店街も繁盛した。1974年にロッテが優勝した時、ロッテシェーキが100円になり、夢中で何本も飲んだ。母に買ってもらう屋台の“きび団子”が大好きだった。

【今週の龍馬伝 21 / 48回】
 三条実美や長州藩ら攘夷派は京を追われた。薩摩と長州の確執が本格化したのもこの時だった。土佐勤王党は弾圧され、龍馬の心は乱れた。弥太郎の材木がついに売れた。侍の誇りも攘夷も弥太郎にはない。そんな生き方もあることを半平太に投げかけるが・・・。

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私のど真ん中2008.10.24 Friday

 年末と言えば忠臣蔵。「殿中でござる!」江戸城中の松の大廊下で浅野内匠頭長矩が吉良上野介を斬りつけました。その後、浅野は切腹処分とされ、吉良はおとがめなし。これを不服とした浅野の遺臣、大石内蔵助良雄以下、赤穂浪士47士が吉良邸に討ち入りしたのが旧暦の12月14日でした。
私のど真ん中
 「教育」の2文字からある意味開放された私は、企業の「成長」ということに軸足を移しました。学習塾のあとは教育にこだわりながらもしばられることなく、他業種へ踏み出します。ITバブル時期のネットインフラ企業、ジャパニメーションという言葉が出始めた頃のアニメコンテンツ関連企業、バイオベンチャー、ネット広告企業、FX企業などの上場準備や上場後のIRを通して、企業が成長する姿を見てきました。
 今ではこの道が正しかったと信じています。企業が少しずつ成長している姿を見ているのは、あの頃の自分のクラスの子供たちの姿を見ているようです。この思いが続く限り企業の成長支援が私のど真ん中です。
 江戸城を散策しながら、自分の原点を振り返った原点ブログも5回目の今日で終了します。次回からはまたいつもの散歩ブログに戻します。



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ずっと教育にこだわり続けたかった2008.10.22 Wednesday

 江戸時代の同心が詰所として待機した「番所」がありました。更に先に進むと「百人番所」があります。100人の同心が交代で警護に当たっていました。このすぐ裏手は皇宮警察の本部となっており、その隣は柔剣道の道場「済寧館(さいねいかん)」で、警察官が鍛練する声が聞えます。
ずっと教育にこだわり続けたかった
 学習塾では生徒に配布する教材が棚卸資産として管理されることを知りました。教材は倉庫だけではなく各教室で未使用のままストックされているものを含め、毎月在庫を確認して月末の棚卸高を算出し、経理部に報告しました。一方でそのような処理方法についてルール化し、その他会社内で行われる業務を次々に規程化していきました。
 のちに、これが株式上場のための準備だったことを知りました。これを機に企業経営に興味を持つようになりました。経営理念や教育理念を学び、それらが人事制度に影響されることを知り、更に組織が適正に機能するための職制や各部門の役割を学びました。
 企業にとって経営理念は「軸」。人に置き換えても同じことで「考え方」が軸。軸がぶれない企業や人の言葉には説得力があります。

 「教育」にこだわってきた私は一歩踏み出すことを考えました。企業がステージを上げていくことと子供が成長していくことが、私の中でオーバーラップしていきます。企業にとっての上場は子供の進学や入学と同じと捉え、この仕事なら教育にこだわり続けてもやっていけると考えたのです。



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転機2008.10.20 Monday

♪♪ ひ・さ・しぃ・ぶぅ〜りに  手をひ・い・い・てぇ〜 ♪♪
♪♪ ここが ここがぁ 二重橋ぃ〜  記念の 写真を とりましょぉぉねぇ〜 ♪♪
「東京だよ おっ母さん」by島倉千代子

 皇居宮殿に向かう途中に二重橋があります。観光客の方々につられて私も一枚!
転機
 あることをきっかに私は教師を辞める決意をします。ところが民間企業に入ったことのない私は、どんな会社に転職すれば良いのか迷いました。間接的でもいい、「教育」に関わっていたいという思いだけが残り、学習塾に行こうと考えました。ただ面接の時、私はこんなお願いをしました。
 「教室には行きたくない。生徒の前に立てばまた学校の先生に戻りたくなる。だから会社の仕事をさせてください。」
 すると、「それなら総務部が良い。他部署と関わることで会社全体の仕事が把握できる。」と人事部長は私の希望に応えてくれました。このことがIPOを知るきっかけとなり、その後の人生の転機へとつながってゆきます。



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相手が理解できないのは、自分の伝え方がダメだから2008.10.17 Friday

 鎌倉幕府の政権末期に朝廷は南北に分裂し、南朝と北朝で交互に天皇を擁立する時代が続きました。1333年に鎌倉幕府が滅ぶと南朝の後醍醐天皇が親政を布き、南北統一を目指します。ところが政局は混迷し、足利尊氏が政権獲得に向け南朝に攻め入ります。このとき、天皇側について足利尊氏と戦ったのが楠木正成です。
 朝廷側の忠臣として、皇居外苑にその勇ましい姿を見せています。
相手が理解できないのは、自分の伝え方がダメだから
 埼玉県のとある町で私は教師をしていました。給食を食べ終わると元気に飛び出す子供たちの後を追って校庭に出て行きました。手つなぎ鬼、リレー、相撲、ドロ警・・・。子供たちが求める遊びは何でもやりました。自分も楽しかったからです。。。。
 短い教師生活でしたが、多くのことを学びました。一生懸命に子供たちに向かいました。教師生活で学んだことの一つにこんなことがあります。

「理解できない子供がいたら、それは私の教え方、説明のしかたが悪いんだということ」

 自分の考えや教科書の中に書かれていることを、子供たちの小さな頭で理解できるように伝えなければいけない。その力が私には足りないんだということを学びました。このとき私は23歳。23歳の私が理解できる言葉は、必ずしも子供たちが理解できる言葉ではないことを知ったのです。



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大きくなったら先生になりたかった2008.10.16 Thursday

 皇居を中心として、多くはその周囲が私の活動範囲となっていますが、皇居には一度も入ったことがありませんでした。天気も良かったので皇居の中を散策しながら、原点に戻って私のこれまでをたどってみます。

 まずはお堀の白鳥です。ゆっくりゆっくりお堀の中を行ったり来たり。気持ち良さそうでした。
大きくなったら先生になりたかった
 母に聞くと予定日は元旦だったと言います。2日遅れて1967年1月、正月三が日の3日目に3人兄弟の二番目、長男として十条(埼京線)という町で生まれました。慌しくも愛でたい(めでたい)正月となりました。7月1日の富士山の山開きには毎年大きな縁日があります。通称「お富士さん」と言います。子供の頃の楽しみの一つでした。隣町の赤羽や王子も近く、中学生になると1ゲーム10円のインベーダーゲームを求めて行動範囲も広がっていきました。
 水谷豊の「熱中時代」や中村雅俊の「ゆうひが丘の総理大臣」で教師への思いが芽生え、武田鉄矢の「金八先生」で意志が固まりました。白鳥のように真っ白だった私の心のキャンバスに少しずつ色が染まってきます。中学3年生の時の担任の先生に初めて「先生になりたい」ことを告白しました。
 つづきはまた・・・。



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